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日語閱讀:安史の亂と唐の変質

  安史の亂と唐の変質

  安史の亂

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  755年、安史の亂(あんしのらん)が勃発します。

  反亂軍のリーダー安祿山(あんろくざん)と史思明(ししめい)の二人の名前をつないで安史の亂とよばれます。

  安祿山は現在の北京の北方を守備する節度使(せつどし)の長官でした。

  ここで、節度使の説明をしておきましょう。唐の兵制は府兵制だったのですが、玄宗の時代くらいからこれがうまく機能しなくなってくる。均田制そのものが形骸化してきたのだろうと思われます。そうなると兵士も集められなくなるのです。羈縻政策もうまくいかなくなってきました。

  そこで辺境防衛のために新たにつくられたのが節度使という軍団です。兵士は府兵制のような徴兵ではなくて募兵です。お金で雇った傭兵ですね。そして、軍団の司令官は管轄地域の民政もおこないます。自衛隊の地方駐屯隊の司令官が県知事を兼ねるようなものです。國境を守るためにはこの方が機敏に対応できるのですね。ちなみに節度使の長官のことも節度使といいますから注意。

  玄宗の時代には北方の國境地域を中心に十の節度使が設けられていました。

  安祿山という男は父親がソグド人、母親は突厥人だという。ソグド人というのは中央アジアを中心に活動していたイラン系の商業民族です。

  そういう育ちもあってか安祿山は六カ國語が自由に操れた。若いときから現在の北京方面にあった節度使の部下になって通訳として勤務していたらしい。辺境地域ですからいろいろな民族と接觸する機會が多かったのだろう。

  安祿山という名前は「アレクサンドロス」の音を漢字にしたという説もあります。これは、多分こじつけですが面白いので紹介しておきます。

  この安祿山、すごく機転がきいて人の心をつかむのが上手だった。それで軍団の中でどんどん出世していくのです。唐は人種、民族関係なしですからね。

  出世するために何をしたのかというと楊貴妃に取り入ったのです。最初は贈り物を屆けたりしたのでしょうが、やがて楊貴妃の部屋に入り込んだりする。すっかり気に入られて養子気取りです。楊貴妃に気に入られれば當然玄宗皇帝に取り立ててもらえます。

  ついには玄宗にも気に入られる。

  安祿山はものすごく太っていた。ところが運動神経は抜群で玄宗の前で軽快なステップを踏んでクルクル回って踴ったりする。その體型と踴りのアンバランスがいかにもおかしかったらしい。玄宗に大うけ。ご機嫌の玄宗が「お前のそのでっかい腹の中には何が入っているのか」ときくと、安祿山は「この腹の中は陛下への真心でいっぱいでございます」なんて答えるのですな。

  そんなこんなで最終的には、北方の三つの節度使の長官を兼ねるまでになる。

  そこまで出世してなぜ反亂をおこしたのか。

  実は同じように楊貴妃の縁で玄宗に気に入られて出世した人物がいた。

  楊國忠です。名前からもわかると思うけど、この人は楊貴妃の「またいとこ」です。幼なじみですからね。こちらもスピード出世して宰相になります。

  安祿山はこの楊國忠と滅茶苦茶仲が悪い。二人とも実力ではなくおべっかで出世しているわけで、玄宗に嫌われたらその瞬間に高い地位から転がり落ちる運命。玄宗と楊貴妃の愛を奪い合う関係ですから、ライバルになるのは當然です。

  楊國忠は宰相として常に皇帝のそばにいる。ところが、安祿山はいつも玄宗や楊貴妃のそばにいてご機嫌伺いをしているわけにはいかない。勤務地は辺境ですから。節度使の仕事もしなければね。

  都を離れると安祿山は気が気ではない。自分がいないあいだに楊國忠が讒言をして自分を失腳させるのではないか、と心配なのです。

  心配しているうちに安祿山は気がついた。自分は三節度使を兼任して唐帝國全兵力の三分の一を握っている。玄宗に嫌われるのをビクビク恐れる必要なんか全くない。この兵力をもってすれば自分自身が皇帝になることだってできる、と。

  そんな事情で挙兵するのです。玄宗皇帝の情実に流された人材登用のつけが一気に爆発した感じです。

  そもそも節度使は辺境防衛のためにおかれた軍団です。その軍から國を守る軍があるはずがない。反亂軍は無人の野を行くように進撃をつづけた。率いる軍勢は15萬。

  すぐに洛陽を占領、翌年には長安も占領しました。

  玄宗は楊貴妃を引き連れて長安から逃れます。四川省に向けて落ちのびるのですが、逃避行の途中でかれらを護衛する親衛隊が反抗する。安祿山の反亂は楊貴妃のせいだ、と言うのです。この女に皇帝が溺れて政務をないがしろにしたからこんなことになった。この女を殺せ、と兵士たちは玄宗に迫った。

  兵士の協力がなければ逃げのびるどころか自分も殺されるかもしれません。玄宗は田舎のまちのお寺に楊貴妃を連れ込んで因果を含めて絞め殺させるのです。愛しているのですが、泣く泣く殺す。ここが、玄宗と楊貴妃、世紀の戀愛のクライマックス。

  このあと玄宗は反亂勃発の責任をとって退位して、息子の肅宗(しゅくそう)が即位しました。

  唐政府は安史の亂を鎮圧するためウイグル族に援助を要請した。ウイグル族は突厥が衰退したあと勢力を伸ばしてきた遊牧民族です。國內には安史の亂を鎮圧できる軍事力がなかったんですね。

  一方の安祿山ですが、長安を占領して新政府を建てて皇帝に即位するのですが、その直後に失明する。太っていたから糖尿病だったのかもしれない。おまけに全身皮膚病にかかった。もともと理想や理念があってはじめた反亂ではありません?;实郅摔胜盲皮庹芜\営なんかできない。そこへ失明と皮膚病でやけっぱちになる。絵に描いたような暴虐な人間になってしまって、息子に殺されてしまう。その息子は武將の一人史思明に殺されて、以後は史思明が反亂軍のリーダーになりますが、かれも暴れまわるのだけが取り柄の男で、これもその息子に殺される。史思明の息子は反亂軍をとりまとめるだけの力量がなくて、中心を失った反亂軍はウイグル軍に鎮圧されて、ようやく反亂は終わりました(763)。

  9年間の戦亂で華北は完全に荒廃してしまいました。安史の亂の兵士たちには遊牧民出身の者も多かったようで、農民に対する理解や配慮はない。農地は滅茶苦茶になる。農民は畑を棄てて逃げ散る。食糧生産も満足におこなわれない。腹がへっては戦ができません。

  安祿山の反亂軍には石臼部隊というのがあった。直徑數メートルもあるようなでっかい石臼を運ぶ部隊です。反亂軍とウイグル軍が合戦するでしょ。どちらが勝っても負けても戦闘後の戦場には死體がたくさん転がっている。そこに石臼部隊がゴロゴロと巨大石臼を運んで登場します。生き殘った兵士たちは敵のも味方のも死體を運んできて、どんどん石臼に放り込んでゴーリゴーリ臼をひく。死體がミンチになってじわじわでてくる。これを団子にして食べた。気持ち悪くて御免なさい。

  もう、何のために戦爭しているのかわからない。人肉という食糧を確保するために反亂をつづけているような狀態になっているのです。

  華北の荒廃とはこういうことです。農民が農作業なんかしていたら、捕まって食べられてしまいます。地獄そのもの。

  反亂鎮圧後、唐の朝廷は長安に帰ってきますが都はすっかり変わり果てていたのです。

  唐の詩人杜甫(とほ)に「春望(しゅんぼう)」という作品があります。非常に有名な詩なので紹介します。

  國破れて 山河あり城春にして 草木深し時に感じては 花にも涙をそそぎ別れを恨んでは 鳥にも心を驚かす烽火 三月に連なり家書 萬金に抵(あた)る白頭 掻(か)けば更に短く渾(すべ)て 簪(しん)に勝(た)えざらんと欲す

  杜甫は安史の亂で一時長安に幽閉されます。戦亂で荒れ果てた長安の風景を嘆いている詩です?!赋谴氦摔筏啤工纬扦趣祥L安のこと、繁栄していた長安が今では草ぼうぼうだ、といっているのですよ。戦火が三ヶ月もつづき、離ればなれになった家族からの手紙は萬金の価値。白髪頭もすっかり薄くなり、まったくかんざしさえさすことができない。そんな意味です。

  大學時代に中國からの留學生と飲む機會があった。日本の高校では國語の時間に漢詩を習うんですよと、とりあえず少し覚えていたこの春望のことを話したら、ワンさん、中國語で朗々と歌うように朗読してくれた。中國語で読むと韻が踏んであるのがよくわかる。耳に心地よいですよ。日本で百人一首を暗記させられるように中國の國語の時間にこういう詩を暗唱するのかもしれませんね。

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  唐の政治?社會の変質

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  安史の亂後、唐の政治も社會も大きく変化します。

  まず、唐王朝の力がすっかり衰えてしまった。均田制を維持することができません。

  均田農民は政府の援助が得られずに沒落して、小作農になっていきます。小作農のことを佃戸(でんこ)という。

  佃戸が働く農地の所有者が新興地主階級です。かれらは貴族とは何のつながりもない。混亂をチャンスに変えて成長してきた新興層です。

  均田制が崩れれば、當然それをもとにしていた租庸調制も崩れる。

  かわりに実施された稅制が両稅法。夏と秋の二回の収穫期に銭納で稅を集める。一年二回の徴稅なので両稅法といいます。

  両稅法の獻策者が楊炎(ようえん)。受験的にはわりときかれます。

  これ以外にも塩の専売制を強化して國家財政を補いました。

  府兵制が解體して、募兵制に切り替わります。傭兵部隊です。傭兵というのは西洋でも東洋でも質が悪い。中國では良い鉄は釘にはならない、善い人は兵隊にはならないという諺があって、兵士になる奴にろくな奴はいない。まじめに働くことのできないならず者が最後にたどりつく仕事だと考えられていたのです。

  府兵制の兵士は違うんですよ。これは徴兵ですからね、均田農民が兵士になる。農民というのは元來まじめで黙々といわれたとおりによく働く。これを兵士にした府兵は質がいいんです。募兵制の傭兵になってから兵士の質がグンと落ちる。略奪?暴行なんかなんとも思っていない。

  そして、この募兵を率いるのが節度使です。唐朝は安史の亂後、國內にも節度使を置くようになります。節度使が反亂したら別の節度使に鎮圧させるためです。

  國內に多數設置された節度使に任命されたのが、なんと、安史の亂で暴れまわった反亂軍の武將たちなんです。反亂鎮圧後、唐朝は反亂軍の將兵の扱いに困るのです。政府につなぎ止めておかないと、また何をしでかすかわかりませんから。そこで、官職をあたえて各地の節度使やその武將、兵士にした、というわけです。

  こんな節度使ですから、頭から唐の政府なんてなめているわけ。すぐに各地で自立化していって唐の政府の命令は無視するし、稅金だって送ってこない。

  ただし、安史の亂で戦亂に巻き込まれなかった江南地方は比較的唐の政府に対して従順できちんと稅金を送ってきた。そのルートが大運河です。唐朝にとって大運河と江南地方が生命線になります。やがてここが唐朝のコントロールから外れる時が唐の滅亡の時となります。

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  唐の滅亡

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  安史の亂後、それまでとはまったく異なった稅制?兵制で國家の中身はすっかり以前とは違ったものになりましたが、あと100年ほど唐は何とか存続します。

  この唐朝に最後の打撃を與えたのが黃巣の亂(こうそうのらん)(875~84)です。

  黃巣は塩の密売人でした。安史の亂後、塩の専売制は唐の大きな収入源だったので、塩の値段はどんどん上げられていきました。塩は生活必需品ですから誰もが買わざるをえない。庶民の生活を圧迫する。だから塩の値段が高すぎれば當然密売人が現れて、政府価格より安く売って莫大な利益を得るのです。政府としては密売をほっておくと収入減になりますから、必死に取り締まりをします。密売人側もそれに対抗して、各地の密売組織が連絡をとりあって政府の裏をかく。

  最後に唐政府は軍を投入して取り締まりを強化してきた。追いつめられた密売人がおこした反亂が黃巣の亂です。

  黃巣の反亂軍は次から次へと都市を占領して略奪します。一つの都市を食い散らかすと次の都市に向かう。こういうのを流賊というんですが、神出鬼沒でどこにあらわれるかわからない。安史の亂では無傷だった中國南部も大きな被害を受けました。全國を荒らしまわって最後は數十萬の勢力に成長して長安を占領しました。

  このときに黃巣軍は長安にいた南北朝以來の貴族たちをことごとく黃河に放り込んで殺しています。貴族階級に対する庶民の恨みは強かったんですね。これで貴族は全滅したということです。

  黃巣は長安で皇帝に即位します。しかし、そのあとすぐに反亂軍自體が內部分裂で解體していく。

  唐朝は軍事的にはこれを押さえられないので、黃巣の武將たちに寢返って唐側につくように誘います。寢返ったら節度使にしてやるよ、黃巣の部下をやっていても將來はないよ、ってね?!笌㈨槨工颏Δ胜?、という。

  これが、うまくいって有力武將たちが寢返ってくるのです。黃巣は即位後には何をしたらいいかわからなくなるし、部下は寢返るし、敗戦がつづき最後は故郷に逃げ帰って自殺して反亂は終わりました。

  しかし、亂後、唐の政府はまったく形だけのものになります。中國全土に節度使が自立して軍閥化している。

  大運河と黃河の合流點、開封という都市があります。ここの節度使に任命されたのが黃巣の反亂軍から寢返った朱全忠(しゅぜんちゅう)という男。907年、朱全忠は唐を滅ぼして皇帝に即位しました。都は開封。國名は後梁(こうりょう)。

  後梁は中國全土を支配するだけの力はありません。黃河流域をかろうじて勢力範囲にしただけでした。

  それ以外の地域にはそれぞれの節度使が自立?建國して中國は再び分裂時代に突入します .

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