日語閱讀:籠釣瓶9
九
次郎左衛門を驚かしたのは、そのころ折りおりに行なわれる辻斬りであった。意趣(いしゅ)も遺恨(いこん)もない通りがかりの人間を斬り倒して、刀の斬れ味を試すという亂暴な侍のいたずらであった。一刀で斬り損じるか、もしくは相手が少し手ごわいと見れば、すぐに刃を引いて逃げるのが彼等の習いであった、次郎左衛門もそれを知っていた。
「辻斬りか、栄之丞か」
彼は立ち停まって考えた。しかし場合が場合だけに、彼は栄之丞を疑った。うわべは素直に何もかも承知しておいて、あとから付けて來ておれを闇撃(やみう)ちにする――どうもそれらしく思われてならなかった。
もともと今夜の相談は自分の方が少し無理である。無理は自分も萬々承知している。しかし無理ならば無理で、なぜ面とむかって不承知を言わない。おとなしそうな顔をして萬事呑み込んでおきながら、暗い所でおれを亡(な)い者にしようとする。どう考えても面白くない奴だ。弱い奴だ、卑怯な奴だ、憎い奴だと、次郎左衛門は腹立たしくなった。
「よし、これからもう一度引っ返して行って、あいつの素(そ)っ首を叩き落してやろう」
彼はむらむら[#「むらむら」に傍點]として、ふた足三足行きかけたが又かんがえた。あんな意気地のない奴でも人ひとりを殺せば、こっちも罪をきなければならない。罪人になったら八橋にも、もう逢えまい。こう思うと彼の張り詰めた気もまたくじけた。忌々(いまいま)しいが我慢する方が無事であろう、打っちゃって置いたところで、あんな意気地なしがこの後なにをなし得るものでもないと、彼は多寡をくくって胸をさすった。
真っ暗な枯れ田の上を雁が啼(な)いて通った。ここらへ來ると、夜風が真っ北から吹きおろして來て、次郎左衛門は顫(ふる)えあがるほど寒くなった。つい目の前の廓では二挺鼓(にちょうつづみ)の音が賑やかにきこえた。次郎左衛門はもう何も考えずに、まっすぐに吉原の方へむいて行った。
いつもの通りに立花屋から送られて、彼は兵庫屋の客となった。その晩、座敷が引けてから次郎左衛門は八橋になにげなく訊いた。
「栄之丞さんはこの頃ちっとも見えないのか」
「ちっともたよりはありんせん」と、八橋は冷やかに答えた。
「なぜだろう」
「なぜか知りんせんが、あんな不実な人はどうなっても構いいせん」と、八橋はさらに罵(ののし)るように言った。
親身の従弟(いとこ)と思えばこそ、自分もこれまでに隨分面倒も見てやった。それにこの頃は何のたよりもしない、顔も見せない。あんな不人情な人はどうなっても構わない、一生逢わないでも構わないと、八橋はさもさも見限ったように言った。噓とほんとうが半分ずつまじっているこの話を、次郎左衛門は一種の興味をもって聴いていた。
それからだんだん捜(さぐ)りを入れて見ると、八橋はまったく栄之丞に愛想をつかしているらしく思われた。あんな不実な奴はどうなっても構わないと、本當に思っているらしかった。
そこへ新造の浮橋が來て、今夜はどうして治六を連れて來ないかと訊いた。あいつは勘當したと次郎左衛門は正直に答えると、二人の女は黙って顔を見合せていた。治六の噂がいとぐちになって、又ぞろゆうべの身請けの話が出た。
「三月になると國へ一度帰る。そうして、金を持って來るから待ってくれ」
次郎左衛門もよんどころなしに一時のがれの噓を言った。浮橋が出て行ったあとで、八橋は急に泣き出した。
「堪忍しておくんなんし」
今までお前を欺していたが、栄之丞は自分の従弟(いとこ)ではない、実は自分の情夫(おとこ)であるということを、八橋は泣いて白狀した。いくらこっちでばかり親切を運んでも、むこうではなんとも思ってくれないで、この頃はなるたけ逃げようとしている。現に達者で雷門を歩いていながら、病気だといって廓へは寄り付かない。そんな不人情な男はわたしもすっぱりと思い切った。あきらめてしまった。さてそうなると、こうして廓にいてもなんの望みもない、楽しみもない、一日も早く苦界(くがい)をぬけたい。今のわたしが杖柱(つえはしら)と取りすがるのは、お前ばかりである。一つには不実な男の顔を見返すためと、二つには廓の苦を逃がれるために、どうぞわたしを請け出してくれと、彼女は繰り返して頼んだ。
「今まで欺していたのが憎いと思いんすなら、請け出して三日でも女房にした上で、突くとも斬るとも勝手にしておくんなんし」
彼女は次郎左衛門の前にからだを投げ出した。栄之丞のことはとうの昔から承知しているので、今この白狀を聴いても次郎左衛門は別に驚きもしなかった。むしろ八橋の口からこの正直な白狀を聴いたのをこころよく思った。よく白狀してくれたと嬉しく思った。しかも悲しいことには、今の自分にはその願いを肯(き)き入れるだけの力がない。千両に足りない金で八橋のからだをどうすることも出來ないのは判り切っていた。
「八橋も白狀した。おれも男らしく白狀しようか」
相手が正直に何もかも白狀した上は、自分も今の身の上を正直に白狀すべきである。折角の頼みではあるが、今の次郎左衛門としてはお前をどうすることも出來ないと、彼は正直に打明けなければならないと思った。しかし彼は自分でも歯がゆいほどに男らしくなかった。女の前で宿なし同様の今の身分を明かすのは如何にも辛かった。彼の胸の底には、やはり佐野のお大盡で押し通していたいという果敢(はか)ない虛栄(みえ)があった。
「治六がゆうべどんなことを言ったのだ」と、彼はまた捜りを入れた。
あるいは無考えの治六めが今の境界をべらべらしゃべっているのではないかという不安もあった。八橋の口ぶりによると、治六もさすがにそんなことは口外しなかったらしく思われたので、次郎左衛門もまず安心したが、それにしても乗りかかった舟の楫(かじ)を右へも左へも向けることは出來なかった。彼はどこまでも噓で押し通すよりほかはないので、苦しいながらも前の誓い――偽りの誓いをまた繰り返した。
「さっきもいう通り、來年の三月には國へ帰って身請けの金を持って來る」
「ほんとうざますか」
「噓はつかない」
次郎左衛門は息が詰まるほどに苦しくなった。今までは八橋が自分をだましていたのであるが、今は自分が八橋をだましているのである。だまされている身よりも、だましている身の方がどのくらい切(せつ)ないか判らないと、彼はつくづく情けなくなった。彼は夜の明けないうちに逃げ出したくなって來た。
八橋の方では容易に帰そうとはしなかった。彼女は全く栄之丞を見捨てた証拠だといって、掛守(かけまもり)の中から男の起請(きしょう)を出して見せた。
「この通り、よく見ておくんなんし」
彼女はその起請をずたずた[#「ずたずた」に傍點]に引き裂いて、行燈の火にあてると、紅い小さい焔がへらへら[#「へらへら」に傍點]と燃えあがった。彼女は更にその火を枕もとの手あぶりに投げ込むと、焔(ほのお)はぱっと大きく燃えて、見る見るうちに薄白い灰となった。
戀の果てはこうしたものかと思うと、次郎左衛門はなんだか果敢ないような心持ちにもなった。それと同時に子供が蟻(あり)やみみずを踏み殺した時のような、一種の殘忍な愉快と誇りを感じた。弱い栄之丞はおれの足の下に踏みにじられてしまったのだと思った。
その灰の中から栄之丞の蒼白い顔が浮き出したかのように、八橋は眼を據えて煙りのゆくえをじっと見つめていた。彼女の顔も物凄いほどに蒼白かった。やがて彼女は次郎左衛門の方をしずかに見かえった。二人は黙ってほほえんだ。
あくる朝、次郎左衛門が帰る時にも、八橋は茶屋まで送って來て、身請けのことをくれぐれも頼んだ。
「ほんとうざますか」と、彼女はここでも念を押した。
「噓はつかない」と、次郎左衛門も同じ誓いをくりかえして別れた。
仲の町には冬の霜が一面に白かった。次郎左衛門を乗せた駕籠が大門(おおもん)を出ると、枝ばかりの見返り柳が師走の朝風に痩せた影をふるわせていた。垂れをおろしている駕籠の中も寒かった。茶屋で一杯飲んだ朝酒ももう醒めて、次郎左衛門は幾たびか身ぶるいした。
初めから相手に足らないやつとは思っていたが、それでも栄之丞を見事に蹴倒してしまったということは、次郎左衛門に言い知れぬ満足を與えた。ゆうべの闇撃(やみう)ち以來、にわかに栄之丞を憎むようになった彼に取っては、殊にそれがこころよく感じられた。八橋が栄之丞を見限ったということが嬉しかった。
「八橋はもうおれの物ときまった」
それに付けても、彼は八橋を欺(あざむ)いているのが気にかかった。いっそこれから廓へ引っ返して、自分が今の境遇をあからさまに打明けようかとも思ったが、彼はやはり臆病であった。いよいよどん底へ落ちるまでは、あくまでも噓をつき通していたかった。その三月が來たらどうする。その三月が來るまでに、ふところの金がもう盡きてしまったらどうする。次郎左衛門は努めてそんなことを考えまいとしていた。
栄之丞を弱いやつだと笑ったおれも、やっぱり弱い奴であった。栄之丞を卑怯な奴だと罵ったおれも、やっぱり卑怯者であった。そう思いながらも、彼は自分を自分でどうすることも出來なかった。歯がゆいような、情けないような、辛いような、こぐらかった思いに責められて、彼は一人でいらいら[#「いらいら」に傍點]していた。
次郎左衛門はその後も八橋のところに入りびたっていた。暮れから春の七草までに彼は四百両あまりの金を振り撒いてしまった。どこまでも佐野のお大盡で押し通そうという見得(みえ)が手伝って、彼はむやみに金をつかった。自分の內幕を八橋に覚られまいという懸念から、彼はいつもよりも金づかいをあらくして見せた。ほかの客はみんな蹴散らされた。
栄之丞は踏みつぶしてしまった。ほかの客は蹴散らしてしまった。次郎左衛門は今が得意の絶頂であった。彼は天下を取った將軍のようにも感じた。しかもその肚(はら)の底には抑え切れない寂しさがひしひしと迫って來た。
蕓妓や幇間(たいこ)が囃(はや)し立てて、兵庫屋の二階じゅうが崩れるような騒ぎのあいだにも、彼はときどきに涙ぐまれるほど寂しいことがあった。治六のことが思い出されたりした。元日から七草まで流連(いつづけ)をして、八日の午(ひる)頃に初めて馬喰町の宿へ帰ると、治六は帳場の前に坐って亭主と話していた。
「旦那さま。おめでとうござります」
治六はもとの主人の前にうやうやしく手をついた。
「お帰んなさいまし」と、亭主も會釈した。
それらを耳にも掛けないように、次郎左衛門は二階へすたすた[#「すたすた」に傍點]昇って行った。
さすがに遊び疲れたような心持ちで次郎左衛門はぼんやりと角火鉢の前に坐ると、亭主は自分で土瓶(どびん)と茶碗とを運んで來た。
「松の內もいいあんばいにお天気がつづきました」
彼は手ずから茶をついで出した。それは治六が帰參の訴訟に來たものと次郎左衛門も直ぐにさとった。彼はわざと苦(にが)い顔をして黙っていると、果たして亭主はそれを言い出した。
「治六さんもしきりに頼んでおります。わたくしも共どもにお詫びをいたしますから、どうか幾重にも御料簡を……」
次郎左衛門は顔をそむけて聴かないふうをしていた。離れていると何だか寂しいようにも思いながら、顔を見ると彼はやっぱり治六が憎くてならなかった。
其他有趣的翻譯
- 日語社會學論文一
- 日語社會學論文二
- 《毛選》日文翻譯的一點體會
- 日語閱讀:「もののけ姫」劇本
- 日語閱讀:「耳をすませば」劇本
- 日語閱讀:「となりのととろ」劇本
- 增強老師的日語經驗
- 日語閱讀:猿と蟹 (さるとかに)
- 日語閱讀:一寸法師(いっすんぼうし)
- 日語閱讀:やまんばと牛方
- 日語:從「愛車(あいしゃ)」說起
- 日語閱讀:水の三日(by芥川龍之介)
- 日語閱讀:急増…國語世論調査
- 日語閱讀:文化庁の日本語世論調査
- 日語閱讀:かぐや姫
- 日語閱讀:鶴の恩返し
- 日語閱讀:《桃太郎》
- 日語閱讀:浦島太郎
- 日語閱讀:笠地蔵(かさじぞう)
- 日語閱讀:カメとツル (亀と鶴)
- 日語閱讀:舌切り雀
- 日語閱讀:寶くらべ
- 成瀨巳喜男小傳
- 初級日語模擬題
- 日語社會學論文三
- 日語社會學論文四
網友關注
- 日語慣用句(7)
- 容易出錯的日語表現一
- 日語文法:すみません的用法
- 日語文法:請問また、まだ有什么區別?
- 日語句法分析突破(四)
- 日語文法:動詞連體形
- 五段動詞的連用形音變濁化
- 日語文法:漢字的音讀、訓讀
- 日語的敬語(三)
- 日語文法:時間を表す言葉
- 日語句法分析突破(三)
- 日語語態小結(三)
- 帰る 戻る 怎么用呢
- 日語文法:句尾的表達方式(2)
- 日語終助詞について
- 日語文法:と、なら、たら、ば之完全解釋
- 容易出錯的日語表現四
- 日語省略語集
- 日語文法:は和が總結
- 日語文法:口語文型
- 容易出錯的日語表現七
- 日語文法:副詞介紹
- 日語句法分析突破(一)
- 日語補格助詞で的用法
- 日語文法:色彩濃郁的「わ」
- 日語文法:“意志動詞”及“無意志動詞”的概念
- 日語文法:敬語のまとめ一
- 日語慣用句(9)
- 漢語從日語借來的詞總結
- 容易出錯的日語表現二
- あえて~ない
- 日文中的諺語(四)
- 容易出錯的日語表現三
- 日本語の女性語について
- 日語動詞的假定型
- 日語文法:格助詞 と 用法
- 日語文法:敬語のまとめ二
- 日語らしい的用法
- 日語慣用句(5)
- 日語から・まで用法歌訣
- 日語慣用句(12)
- 日語慣用句(二)
- 容易出錯的日語表現五
- 日語どうも的用法
- 日語文法:「店」、「屋」、「みせ」的區別
- 日語文法:句尾的表達方式(1)
- 淺析日語中的授受動詞
- 日語慣用句(2)
- 日語語態小結(二)
- 日語慣用句(6)
- 日語「わかる」と「知る」の違い
- 日語さえ的用法
- 日文中的諺語(三)
- 日語文法:さようなら 的別用
- 日語的敬語(一)
- 日語副助詞的總結
- 日語慣用句(1)
- 二重寫しの已然形
- 日語「とする」和「にする」的使用區分
- 日語「ことだ」和「ものだ」的區別
- 日文中的諺語(一)
- 「~ために」 「~ように」の違い
- 日語語態小結(一)
- 日語文法:補助形容詞ない和否定助動詞ない
- 日語的敬語(二)
- 日語句法分析突破(二)
- 容易出錯的日語表現六
- 日語文法:動詞未然形
- 日文中的諺語(二)
- 日語“を”“が”和“は”的用法
- 「~あいだ/~あいだに」と「~うち/~うちに」の違い
- 日語慣用句(11)
- 日語慣用語(一)
- 日語慣用句(10)
- 日語文法:形容詞的う音變
- 日語慣用句(8)
- 日語文法:きれいだ和美しい有什么區別
- 日語「わけ」的用法
- 日語慣用句(3)
- 日語文法:敬語のまとめ三
- 日語文法:關于ないで和なくて的用法區別
精品推薦
- 原州區05月30日天氣:晴轉小雨,風向:無持續風向,風力:<3級轉3-4級,氣溫:24/11℃
- 墨玉縣05月30日天氣:陰,風向:無持續風向,風力:<3級,氣溫:25/13℃
- 涇源縣05月30日天氣:晴轉小雨,風向:無持續風向,風力:<3級轉3-4級,氣溫:24/9℃
- 門源縣05月30日天氣:小雨,風向:南風,風力:3-4級轉<3級,氣溫:20/6℃
- 奇臺縣05月30日天氣:陰轉多云,風向:無持續風向,風力:<3級,氣溫:22/9℃
- 合作市05月30日天氣:陣雨轉中雨,風向:東北風,風力:<3級,氣溫:18/7℃
- 阿克蘇市05月30日天氣:多云轉晴,風向:無持續風向,風力:<3級,氣溫:26/13℃
- 城西區05月30日天氣:小雨轉中雨,風向:東風,風力:3-4級,氣溫:24/10℃
- 莎車縣05月30日天氣:陰,風向:無持續風向,風力:<3級,氣溫:27/16℃
- 大通縣05月30日天氣:小雨轉中雨,風向:東南風,風力:3-4級轉<3級,氣溫:23/9℃
分類導航
熱門有趣的翻譯
- 《走遍日本》Ⅱ 情景會話:七 家庭訪問
- 日語詞匯學習資料:初級上冊 單詞46
- 大義親を滅す
- 日語語法學習:標準日語句型學習(十一)
- 日語口語教程42:社內通知(1)
- 【聽故事學日語輔導】獵人和獅子的較量
- 日語 常用語法487句
- 日語新聞核心詞匯 經濟篇(07)
- 雙語閱讀:睡太郎在想什么呢?
- 日語輔導資料之扶桑快報閱讀精選素材78
- 小倉百人一首(45)
- 日語會話:舌がこえてる
- 貨物及運輸之專用日語
- 日語考試專題輔導資料之詞匯集合10
- 日語情景對話:ふる 吹了
- 柯南:動漫中最帥氣的眼鏡男
- 日語閱讀:東山文化・文化
- ジパングの由來
- 日語3、4級進階閱讀-45(キヨスク)
- 日語3、4級進階閱讀-117(日本の慣用句)
- 日語語法講解:日本語能力考試四級語法詳解(3)
- 部分機械日語
- 日語擬聲詞-擬態詞系列54
- 日語一、二級語法逐個練習-22
- 日語一、二級語法逐個練79
- 基礎語法從頭學:新標日初級第22課