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春眠暁を覚えず

  唐朝は詩の時代といわれる。なかでも玄宗が位にあった開元?天寶の盛唐といわれる時期には、唐朝の充実した力がおのずから外に溢れ出たような、內容豊かでのびのびした力量の詩人たちが多く出ている。しかも多くの詩人たちが、それぞれ強い個性と相異なる性格や感受性やを持ち合わせ、まさに百花繚亂の態であった。また李白のごときはよく一つの個人のうちに相異なる傾向を持ち、時には華麗な白牡丹のごとく花咲き、時には路傍のむらさき露草のごとく可憐であった。杜甫は雪かぶる斷崖の松のごとく、あるいは霜うける清流の荻花のごとくであった。岑參や高適は豪放派であった。

  ところで?春眠暁を覚えず?という名句を吐いた孟浩然は、岑參や高適と対蹠的な幽靜派である。幽靜派の雄は王維であったが、孟浩然はこの王維に才を認められた詩人であった。しかし彼は飾りけのない性格と、放縦と、生來の無欲がたたって良い地位につくことができず、五十二歳で貧窮のうちに病死した。幽靜派の詩の傾向は?靜??幽??清??淡?という言葉で表現できよう。その対象は広大な動的な世界ではなく、小さく奧深く靜かなのである。つまり繊細な感覚が自然の微妙を観照し、そこに寫し出された世界がこの人たちの詩なのである。

  春眠暁を覚えず、処処啼鳥を聞く。

  夜來風雨の聲、花落ちること知らんぬ多少ぞ。

  この?春暁?という詩も靜かで妙なる自然の観照である。ごく平凡な光景ではあるが、その平凡が平凡ではなく寫し出され、つきざる妙味として千二百年後ものわれわれの胸にしみいる力があるのは、やはり孟浩然の自然に対するするどい観照力のおかげである。

  ずいぶんたくさん落ちたことだろうなと、うつらうつらしている春暁の寢床はまさに二十世紀の現代人にも涅槃の楽しさである。庭には桃の木(中國人は詩で花という場合、多くは桃をさしているようだ)のない方々は大変殘念なことだが、その時は雀の聲をきき、屋根瓦にさす日射しを想像していればよいのだ。雨が降ってどのくらいカウントがふえただろうなどと原子爆弾のことを考えたり、稅金のことを考えたりしないですむひと朝が許されれば、この涅槃にわれわれもはいれる。

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