日本人の自然観(四)
日本人の精神生活
単調で荒涼な砂漠(さばく)の國には一神教が生まれると言った人があった。日本のような多彩にして変幻きわまりなき自然をもつ國で八百萬(やおよろず)の神々が生まれ崇拝され続けて來たのは當然のことであろう。山も川も木も一つ一つが神であり人でもあるのである。それをあがめそれに従うことによってのみ生活生命が保証されるからである。また一方地形の影響で住民の定住性土著性が決定された結果は至るところの集落に鎮守の社を建てさせた。これも日本の特色である。
仏教が遠い土地から移植されてそれが土著し発育し持続したのはやはりその教義の含有するいろいろの因子が日本の風土に適応したためでなければなるまい。思うに仏教の根底にある無常観が日本人のおのずからな自然観と相調和するところのあるのもその一つの因子ではないかと思うのである。鴨長明(かものちょうめい)の方丈記を引用するまでもなく地震や風水の災禍の頻繁(ひんぱん)でしかも全く予測し難い國土に住むものにとっては天然の無常は遠い遠い祖先からの遺伝的記憶となって五臓六腑(ごぞうろっぷ)にしみ渡っているからである。
日本において科學の発達がおくれた理由はいろいろあるであろうが、一つにはやはり日本人の以上述べきたったような自然観の特異性に連関しているのではないかと思われる。雨のない砂漠(さばく)の國では天文學は発達しやすいが多雨の國ではそれが妨げられたということも考えられる。前にも述べたように自然の恵みが乏しい代わりに自然の暴威のゆるやかな國では自然を制御しようとする欲望が起こりやすいということも考えられる。全く予測し難い地震臺風に鞭打(むちう)たれつづけている日本人はそれら現象の原因を探究するよりも、それらの災害を軽減し回避する具體的方策の研究にその知恵を傾けたもののように思われる。おそらく日本の自然は西洋流の分析的科學の生まれるためにはあまりに多彩であまりに無常であったかもしれないのである。
現在の意味での科學は存在しなかったとしても祖先から日本人の日常における自然との交渉は今の科學の目から見ても非常に合理的なものであるという事は、たとえば日本人の衣食住について前條で例示したようなものである。その合理性を「発見」し「証明」する役目が將來の科學者に殘された仕事の分野ではないかという気もするのである。
ともかくも日本で分析科學が発達しなかったのはやはり環境の支配によるものであって、日本人の頭脳の低級なためではないということはたしかであろうと思う。その証拠には日本古來の知恵を無視した科學が大恥をかいた例は數えれば數え切れないほどあるのである。
日本人の精神生活の諸現象の中で、何よりも明瞭(めいりょう)に、日本の自然、日本人の自然観、あるいは日本の自然と人とを引きくるめた一つの全機的な有機體の諸現象を要約し、またそれを支配する諸方則を記録したと見られるものは日本の文學や諸蕓術であろう。
記紀を文學と言っては當たらないかもしれないが、たとえばその中に現われた神話中に暗示された地球物理的現象の特異性についてはかつて述べたことがあるから略する。
おとぎ話や伝説口碑のようなものでも日本の自然とその対人交渉の特異性を暗示しないものはないようである。源氏物語や枕草子(まくらのそうし)などをひもといてみてもその中には「日本」のあらゆる相貌(そうぼう)を指摘する際に參考すべき一種の目録書きが包蔵されている事を認めることができるであろう。
こういう點で何よりも最も代表的なものは短歌と俳句であろう。この二つの短詩形の中に盛られたものは、多くの場合において、日本の自然と日本人との包含によって生じた全機的有機體日本が最も雄弁にそれ自身を物語る聲のレコードとして見ることのできるものである。これらの詩の中に現われた自然は科學者の取り扱うような、人間から切り離した自然とは全く趣を異にしたものである。また単に、普通にいわゆる背景として他所から借りて來て添加したものでもない。人は自然に同化し、自然は人間に消化され、人と自然が完全な全機的な有機體として生き動くときにおのずから発する楽音のようなものであると言ってもはなはだしい誇張ではあるまいと思われるのである。西洋人の詩にも漢詩にも、そうした傾向のものがいくらかはあるかもしれないが、淺學な私の知る範囲內では、外國の詩には自我と外界との対立がいつもあまりに明白に立っており、そこから理屈(フィロソフィー)が生まれたり教訓(モラール)が組み立てられたりする。萬葉の短歌や蕉門(しょうもん)の俳句におけるがごとく人と自然との渾然(こんぜん)として融合したものを見いだすことは私にははなはだ困難なように思われるのである。
短歌俳諧(はいかい)に現われる自然の風物とそれに付隨する日本人の感覚との最も手近な目録索引としては俳諧歳時記(はいかいさいじき)がある。俳句の季題と稱するものは俳諧の父なる連歌を通して歴史的にその來歴を追究して行くと枕草子や源氏物語から萬葉の昔にまでもさかのぼることができるものが多數にあるようである。私のいわゆる全機的世界の諸斷面の具象性を決定するに必要な座標としての時の指定と同時にまた空間の標示として役立つものがこのいわゆる季題であると思われる。もちろん短歌の中には無季題のものも決して少なくはないのであるが、一首一首として見ないで、一人の作者の制作全體を通じて一つの連作として見るときには、やはり日本人特有の季題感が至るところに橫溢(おういつ)していることが認められるであろうと思われる。
枕詞(まくらことば)と稱する不思議な日本固有の存在についてはまだ徹底的な説明がついていないようである。この不思議を説明するかぎの一つが上述の所説からいくらか暗示されるような気がする。統計を取ってみたわけではないが、試みに枕詞の語彙(ごい)を點検してみると、それ自身が天然の景物を意味するような言葉が非常に多く、中にはいわゆる季題となるものも決して少なくない。それらが表面上は単なる音韻的な連鎖として用いられ、悪く言えば単なる言葉の遊戯であるかのごとき観を呈しているにかかわらず、実際の効果においては枕詞の役目が決して地口やパンのそれでないことは多くの日本人の疑わないところである。しかしそれが何ゆえにそうであるかの説明は容易でない。私のひそかに考えているところでは、枕詞がよび起こす連想の世界があらかじめ一つの舞臺裝置を展開してやがてその前に演出さるべき主観の活躍に適當な環境を組み立てるという役目をするのではないかと思われる。換言すればある特殊な雰囲気(ふんいき)をよび出すための呪文(じゅもん)のような効果を示すのではないかと思われる。しかし、この呪文は日本人のごとき特異な自然観の所有者に対してのみ有効な呪文である。自然を論理的科學的な立場から見ることのみを知ってそれ以外の見方をすることの可能性に心づかない民族にとっては、それは全くのナンセンスであり悪趣味でさえもありうるのである。
こんなことを考えただけでも、和歌を外國語に翻訳しただけで外國人に味わわせようという試みがいかに望み少ないものであるかを了解することができるであろう。また季題なしの新俳句を製造しようとするような運動がいかに人工的なものであるかを悟ることができるであろうと思われる。
日本人の特異な自然観の特異性をある一方面に分化させ、その方向に異常な発達を遂げさせたものは一般民衆の間における俳諧発句(はいかいほっく)の流行であったと思われる。かえってずっと古い昔には民衆的であったかと思われる短歌が中葉から次第に宮廷人の知的遊戯の具となりあるいは僧侶(そうりょ)の遁世哲學(とんせいてつがく)を諷詠(ふうえい)するに格好な詩形を提供していたりしたのが、後に連歌という形式から一転して次第にそうした階級的の束縛を脫しいわゆる俳諧から発句に進化したために著しくその活躍する世界を拡張して詩材の摂取範囲を豊富にした。それと同時にまた古來の詩人によって養われ造り上げられて來た日本固有の自然観を広く一般民衆の間に伝播(でんぱ)するという効果を生じたであろうと想像される。俳句を研究してある程度まで理解しているあるフランス人に言わせると日本人は一人殘らずみんな詩人であるという。これは単に俳句の詩形が短くてだれでもまねやすいためであり、単にそれだけであると思ってはならない。そういう詩形を可能ならしめる重大な原理がまさに日本人の自然観の特異性の中に存し、その上に立腳しているという根本的な事実を見のがしてはならない。そういう特異な自然観が國民全體の間にしみ渡っているという必須條件(ひっすじょうけん)が立派に満足されているという事実を忘卻してはならないのである。
短歌や俳句が使い古したものであるからというだけの単純な理由からその詩形の破棄を企て、內容の根本的革新を夢みるのもあえてとがむべき事ではないとしても、その企図に著手する前に私がここでいわゆる全機的日本の解剖學と生理學を充分に追究し認識した上で仕事に取り掛からないと、せっかくな企図があるいはおそらく徒労に終わるのではないかと憂慮されるのである。
美術工蕓に反映した日本人の自然観の影響もまた隨所に求めることができるであろう。
日本の絵畫には概括的に見て、仏教的漢詩的な輸入要素のほかに和歌的なものと俳句的なものとの三角形的な対立が認められ、その三角で與えられるような一種の三角座標をもってあらゆる畫家の位置を決定することができそうに思われる。たとえば狩野(かのう)派;土佐(とさ)派;四條(しじょう)派をそれぞれこの三角の三つの頂點に近い所に配置して見ることもできはしないか。
それはいずれにしてもこれらの諸派の絵を通じて言われることは、日本人が輸入しまた創造しつつ発達させた絵畫は、その対象が人間であっても自然であっても、それは決して畫家の主観と対立した客観のそれではなく両者の結合し交錯した全機的な世界自身の表現であるということである。西洋の畫家が比較的近年になって、むしろこうした絵畫に絵畫本來の使命があるということを発見するようになったのは、従來の客観的分析的絵畫が科學的複製技術の進歩に脅かされて窮地に立った際、偶然日本の浮世絵などから活路を暗示されたためだという説もあるようである。
次に音楽はどうであるか。日本の民衆音楽中でも、歌詞を主としない、純粋な器楽に近いものとしての三曲のごときも、その表現せんとするものがしばしば自然界の音であり、また楽器の妙音を形容するために自然の物音がしばしば比較に用いられる。日本人は音を通じても自然と同化することを意図としているようにも思われる。
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